10月17日の夜、田中彩子さんのコンサートへ行ってきた。
彼女はウィーン在住のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手である。ピアノ伴奏は加藤昌則さんだ(以下、敬称略)。
私は長年クラシック音楽を聴いているけれど、初めて、この紀尾井ホールを訪れた。ピアノ伴奏の独唱コンサートも初めての体験である。
私はクラシック音楽においては、オーケストラ曲やピアノ曲を中心に聴いてきたので、いわゆる「歌モノ」には比較的疎いのである。しかし、あるきっかけで田中彩子のことを知り、「なんだか凄そうな人だ」と直感し、このコンサートのチケットを買ったのだった。
こういう中規模のコンサートホールで音楽を聴くことも、私にとって初めてである。
今まではサントリーホールのような収容人数2,000人くらいの大ホールで、あるいは収容人数300人程度の小ホールでしかコンサートを聴いたことがなかった。
私が座ったのは、1階の右側に配置された横向きの席である。つまり、座った自分が正面を向くと、ステージに正対して座っている他の大勢のお客さんたちを真横から見る形になる。
2階に桟敷席のようなものを備えたコンサートホールはよくあるが、1階部分に、こうした横向きの席があるのは珍しいかもしれない。自分の前に座った人の頭に視界が遮られず、ステージ全体をよく見通せる。とてもいい席を選んだと私は思った。
さて、いよいよコンサートの幕開けだ。
伴奏ピアニストの加藤昌則は、あらかじめピアノの前に座って待機している。照明が落とされ、コンサートホールは完全に暗闇に包まれた。
そしてステージの上に、田中彩子がそっと歩いてくる気配がする。
照明がパッと明るくなる。彼女がステージ中央に、すっと立っている。この演出は、とても新鮮で効果的だ。真紅のふわっとしたロングドレスが映える。
後半はお召し替えをして、前半よりも体にフィットするゴールドのロングドレスだ。この姿も、とても美しかった。どうやら華やかな衣装が好きな様子だ。
そして、その歌唱である。とにかく圧倒的としか言いようがなかった。
透き通っていて繊細でありながら、しっかりとした芯がある声。どこまでも滑らかで美しい。
声の美しさと技巧が素晴らしすぎて、曲を味わう余裕がないと言ったら変かもしれないが、ほとんどそれに近い体験だった。
とりわけ、高音部でヴィヴラートをかけながら自在に強弱を操るところなど、信じがたいほどの高い技術をうかがわせた。
彼女の背丈がどのくらいかは、ロングドレスを着ているために靴のヒールの高さが確認できなかったので、よくわからない。
日本人としては、やや長身かなという程度に見えた。決して体格に恵まれているとは言えないと思う。それでいて、こんなにも深い浸透力のある声を出せるのが不思議だった。
すらっとしてはいるが、決して細過ぎない理想的な体型だろう。とりわけ後半のゴールドのドレスでは、身体の線がとてもきれいだった。
立ち居振る舞いも優雅そのもの。さほど大きな身振りを見せないのだが、ひとつひとつの身体の動きが静かな説得力を持っていた。
そして、このコンサートのもうひとつ特筆すべきことは、田中彩子と伴奏の加藤昌則の楽しいトークが、曲の合間に配されているところである。
ロックやジャズのコンサートでさえ、音楽家が客席に向かって、これほど多くの言葉を語りかけるのを私は見たことがない。
ピアノの上にマイクが2本置いてあり、そのマイクを使って話してくれるので、会話の内容も聞きとりやすい。
彼女はヨーロッパ暮らしが長いせいか、少し日本語を忘れかけているような感じで、とてもたどたどしい日本語を話す。その話し方と、歌唱のあまりもの素晴らしさとのギャップが、たまらなくキュートだ。
伴奏ピアニストの加藤昌則が語る。
「田中さんはヨーロッパ暮らしが長くて日本語がたどたどしいので、私がいつも通訳としても働いているんです。時々、述語がなかったり助詞が強調されたりしますけど、そこはご愛嬌としてお許しください」
前半の2曲を歌った時点で、いったん舞台から下がる田中彩子。
加藤「コロラトゥーラというのはとても高い声で、日本語で言うと文字通り音をコロコロ転がすような声種なので、喉に負担がかかるんですね。それで時々、喉を休ませる必要があるんです。今、田中さんはステージから下がって喉を休ませています。それで、『お前はピアノが弾けるんだから、その間のつなぎをやれ』というわけなんです」(会場笑)
パガニーニのヴァイオリン曲である「カプリース 第24番」を声楽のために編曲したものを歌う前に、加藤昌則が語る。
「パガニーニは、当時としては考えられないような速さで弾く超絶技巧の持ち主でした。だけど、そういう人って、作曲家としては技巧に走り過ぎてしまって、作品としてはあまり深さがなくて後世に残らなかったりするんです。でもパガニーニは、作曲家としても素晴らしい作品を残しています」
歌う前に田中彩子がひと言。
「超絶技巧の第一人者と言われるパガニーニの曲を、同じく超絶技巧のコロラトゥーラと呼ばれる私が歌います」
加藤「すみません、そういうトーク、まったく成長してませんね」(会場笑)
他にも記憶に残る楽しい会話があった。せっかくなので書き残しておこう。
田中「ヨーロッパでは雀というか、雀より小さいんですけど、小鳥がいっぱい飛んでるんですね、軍団になって。鳥はメロディーで会話をしてると思うんです」
加藤「田中さんは小鳥と会話ができるんですか」
田中「私は聴くだけですけど…」
加藤「音楽って、どういう風に生まれたんでしょうね。紀元前の壁画にも、既にハープのような楽器が描かれている。でも歌が初めにあって、それから木で叩いて音を出したりしたんじゃないかなあ。田中さんはどう思いますか」
田中「多分、言葉が生まれる前から歌があったと思います」
加藤「田中さんが歌い始めたのって、何かきっかけがあるんですか。ご自分のそばに歌が好きな人がいたとか」
田中「うーん…。でも何かを好きになるときって、『気がついたら好きになっていた』というものだと思うんですね」
加藤「なるほど。何かきっかけがあったわけではなくて、気がついたら歌っていたということですか」
ドビュッシー「星の夜」について加藤昌則が解説する。
「この曲は、あるコロラトゥーラの歌手に触発されてドビュッシーが書いたと言われています。オペラにおいてコロラトゥーラの歌手は、清純で汚れがないような役回りを求められることが多いんです。ドビュッシーも、そういう歌手に惹かれて曲を書きたくなったのかもしれません」
リスト「愛の夢」について加藤昌則が語るエピソード。
「このリストの『愛の夢』は、実は元々、歌曲なんです。3つの連作歌曲の3曲目がこの『愛の夢』で、リストはこのメロディが気に入っていたんでしょうね。彼はピアノのためにこれを編曲したんです。そうしたら、そのピアノ版のほうが人気が出て、ひとり歩きして有名になってしまった。このことは意外と知らない人も多いんですが、今日は、その元々の歌のほうを聴いてください」
「音楽って、楽譜に記録するようになったのは西暦800年くらい(記憶あいまい)だと言われています。初めは教会で歌う賛美歌を、『こうやって歌いなさいよ』と広く世に知らせるために楽譜に記したんですね。でも世の中では替え歌があって、『君を愛している』というような歌を、みんなで歌っていたわけです。そこから800年くらい経ってバッハが生まれる。そこからバロック音楽が発展していきます」
「オペラは1600年くらいにできたと言われていますが、これも元々エンタテインメントだったわけです。日本の歌舞伎というものも、実はその頃に生まれています」
さて、この日のプログラムは、ヨハン・シュトラウス2世の曲など、本来は声楽曲ではないものを声楽用に編曲したものも多かった。
後半では、私が大好きなエンニオ・モリコーネの映画音楽である『ミッション』のガブリエルのテーマに歌詞をつけたものを歌ってくれた。私にとっては嬉しいサプライズだった。
最後の曲はガーシュウィン「アイ・ガット・ザ・リズム」。
アンコールは『サウンド・オブ・ミュージック』から「エーデルワイス」だった。
加藤「オペラがやがて、もっと笑えるようなものがあってもいいじゃないか、となってオペレッタができる。さらに楽しくやろうとなって、ミュージカルができた。今度は、好きに即興で演奏してもいいじゃないかと言ってジャズが生まれた。だから田中さんが、こうやって映画音楽やジャズを歌うのも全然いいわけです」
「エーデルワイス」はオリジナルの英語歌詞ではなく、日本語歌詞をつけたものだった。
作曲家の‘Debussy’のことも、田中彩子はふつうの日本人のように「ドビュッシー」と発音していた。
田中彩子は、「エイデルヴァイス」という英語本来の発音ではなく、あえて日本風に「エーデルワイス」と歌っていた。長年欧州に住んでいる彼女が、日本で馴染みのある、本来は正しくない発音で歌う。
一方、私は日本にしか住んだことがないのに、「外国語をカタカナで表示するときも、できるだけ原語の発音に近いほうがいい」と日頃からこだわりがちである。なんだか皮肉な感じもした。
この素晴らしいコンサートは、あっという間に終わってしまった。
最後に田中彩子が挨拶する。
「皆さま、本日はお忙しいところ、私のコンサートにお越しいただきまして、ありがとうございます。皆さまの日頃の疲れが、私の歌で少しでも癒されて、リラックスしていただけたら嬉しいです」彼女はそんな風に語っていた。
こんなことをコンサートの終わりに言ってくれた音楽家は初めて見た。ステージを去る前には、正面、右、左と、いろいろな方向に向かってお客さんに深々とお辞儀をし、手を振っていた。本当に素晴らしい人だ。
とにかく、たどたどしい話し方が最高にキュート。その愛らしい話し方と、歌の凄さとのギャップがたまらない。
とても満たされた気持ちで、さて帰ろうかと席を立った瞬間、田中彩子がマイクで挨拶する声がコンサートホールに響く。
「皆さま、これからCDを買っていただいた方にサイン会を行います」と、これまた、たどたどしい日本語で語りかける。
私はこのコンサートに心の底から感動していたので、どうしてもサインをもらいたくなった。そして、生まれて初めてコンサート後のサイン会に参加した。
ほんの数分、列に並んだらサインをしてもらえた。CDの盤面に大きめに書いてもらった。サインされたCDを彼女から受け取るとき「大変感動しました」と、ひと言だけお伝えした。
それにしても素晴らしいコンサートだった。今まで私が行ったコンサートの中でも、最高のもののひとつである。
加藤昌則によると、来年もツアーに来てくれるような話をしていた。もし再来日が実現したら、必ず聴きに行こう。
ところで、先日、サイモン・ラトルのベルリンフィルとのフェアウェル・コンサートのドキュメンタリー番組を、少しだけテレビで観た。
その中でラトルは、こう語っていた。
‘Life is not about music.’
「音楽のために人生があるのではない」そんなニュアンスなのだろうか。
考えてみてほしい。これはベルリンフィルの首席指揮者の言葉である。クラシック音楽の世界で最高と呼ぶべき地位に長年ついていた彼でさえ、こう語って、遂に故郷の英国に帰る決意をした。
音楽は、とてつもなく素晴らしいアートである。しかし、自分自身または家族との生活は、もっと大切なものだ。
一部の音楽好きの人たちは、こんな風に言う。‘No Music, No Life.’
しかしラトルの言葉を聞き、そして田中彩子のコンサートを体験した後、私は心からこう思う。
‘Music is for LIFE.’
そのことを、あらためて実感させてくれた夜だった。
* 田中さんと加藤さんのお話の内容は、私の記憶によるものです。実際に語られた言葉と一語一句同じではありません。ご了承ください。