いきなり年齢の話で何だが、私は昨年、50歳になった。
私は30歳になったときも40歳になったときも、これといった感慨を持たなかった人間である。しかし50歳になった今、あることを考えるようになった。
それは「人生の時間は有限である」という、ごく当たり前のことである。
最近、グレン・グールドは50歳の誕生日を迎えた直後に亡くなっていることを知った。「自分は、あの偉大な音楽家であるグールドよりも長生きしてしまったのか」と思う。
まさしく世紀の天才と呼ぶべきグールドよりも、私のような凡人が長生きしてしまって、申し訳ない気持ちになるくらいだ。
しかし、こうして私は今も生きているからこそ、グールドが録音に遺したバッハのような、天国的なまでに美しい音楽を聴くことができる。本当にありがたいことである。
この世界で、美しい芸術にふれることほど素晴らしいことは、ほとんどない。それと同等あるいはそれ以上に素晴らしいことなど、子どもと楽しい時間を過ごすことくらいだろう。
人はいつ死ぬかわからないのだから、限りある時間(言い換えれば残された時間)を、いかに有意義に生きるか。それを本気で考えるようになった。
私は子どもの頃から音楽を聴くことが大好きだった。
1980年代には洋楽ポップ&ロックに夢中だった。毎週毎週、ラジオにかじりつくようにして、ヒットチャートを賑わせる華やかな曲たちに耳を傾けた。
その後、大学に入ってからはクラシック音楽の豊穣な世界に目覚めた。さらに数年後にはジャズの素晴らしさにも気づいた。他にも聴きたい音楽は山ほどある。
しかし先ほど述べたように時間は有限である。あまり無分別に、いろいろなことに手を出している時間は(気が早いかもしれないが)、私には既にない気がしている。
そこで私は、まずスポーツの応援をやめた。長いこと広島カープのファンだったのだが、2018年のシーズンが始まって間もなく、スカパーのプロ野球セットを解約してカープの応援をすっぱりやめた。
いざ応援をやめてみると、どうということはない。そもそもスポーツの応援というのは、ひいきチームが負けたときの悔しさなどを総合的に勘案すると、決して有意義な時間の過ごし方とは言えないと考えたのである。
スポーツ選手に自分自身を投影して、そのプレーの成否に一喜一憂している暇があったら、美しい芸術にふれたほうが、はるかに豊かな時間を過ごせる。
昨年、私はApple TV 4Kを買った。これは、とても素晴らしい製品である。Apple TVのリモコンに向かって、たとえば「ナオミ・ワッツ」とささやくと、彼女が出演している映画のリストがテレビ画面に並ぶ。
そのリストの中から、私は『愛する人』(原題:‘Mother and Child’)という映画を選んだ。子を持つ親なら、間違いなく心の深いところに響く素晴らしい作品である。
映像のクオリティも大変素晴らしい。私のような庶民が、このように美しい画質の55インチ・ディスプレイで、家にいながらにして素晴らしい映画を鑑賞することができる。
4K対応TVにApple TV 4Kを接続し、NetflixとPrime Videoを契約すると、あまりもの快適さに気が遠くなるくらいだ。
そして我が家のリビングには、英国製インテグレーテッド・ネットワークプレイヤー LINN MAJIK DS-Iがある。また、スイス製スピーカー PIEGA Premium 3.2 もある。
これらの機器に加えて、デジタル音楽データを格納するためのNAS、それにスピーカーボードや接続ケーブルなどのアクセサリー類の価格を足しても、合計100万円を少し超える程度である。
しかし、これらのオーディオ機器が奏でるサウンドは、かつて私がオーディオという趣味を始めた1995年当時であれば、考えられないくらいの高いクオリティを誇る。
私はあえて断言したい。
サントリーホールのB席に座って生演奏を聴くよりも、我が家のオーディオ・システムで再生音楽を聴くほうが、はるかに良い音で音楽を楽しむことができるのだ。
ひとつの実例を挙げよう。私は昨年11月に、英国のチェリストであるスティーヴン・イッサーリスのコンサートへ行ってきた。会場は横浜市内にある小規模なコンサートホールである。
私の座席は、演奏する彼のほぼ真正面で、私と彼との距離は、ほんの10m程度だった。演奏されたのはフランクのソナタだ。イッサーリスの使用する楽器は銘器ストラディヴァリウスである。
彼の巧みな技術と卓越した楽器が合体したその音は、実に繊細かつ深みのあるものだった。私は、本当に素晴らしい音楽を聴いたという深い満足感とともに家路についた。
さて、コンサート翌日の夜、私は同じフランクのソナタを自宅のオーディオ・システムで聴いてみた。演奏者はイッサーリスではないが、Macを使ってCDをリッピングしたデジタル音楽データによる再生音だ。
すると、どうだろう。
昨夜、聴いたばかりのストラディヴァリウスの音を100点としたら、控えめに言っても90点を与えたい美音が眼前で鳴り響くではないか(95点すら与えうるかもしれない)。
伴奏ピアノの、一切の不要な硬さを感じさせないアタック、豊かな響き。個々の音の明晰さとハーモニーのバランス。すべてが自然で伸びやかだ。昨夜のコンサートの感動を、私は鮮明に思い出すことができた。
少し前の時代なら、200万円をオーディオ機器に投入し、あれこれ苦労して調整を重ねても得られなかったかもしれない、自然な質感と豊かさを持つ美しいサウンドである。
これを、いとも簡単に得られてしまうのが現代なのだ。映画を観るときも、このオーディオ・システムを通したサウンドで楽しむと最高である。
誰しも自分が生まれる時代を選ぶことはできないが、現代の音響及び映像テクノロジーの進化を目の当たりにすると、私は生まれてくるのが少し早すぎたかもしれないと思ってしまう。
家庭内の装置で楽しめる音響と映像のクオリティがこれほどまでに高まった今、音楽や映画を楽しむためにコンサートホールや映画館に足を運ぶ必要性は、かつてよりも格段に小さくなったと私は思う。
もちろん、私自身がこのブログに書いた田中彩子のコンサートや、上に挙げたイッサーリスのコンサートのように、とてつもなく素晴らしい生演奏に出会うこともある。だから、やはりコンサートに行くことも大切だと同時に思う。
ただ、コンサートも映画も、開催日時に厳しく拘束されるのが、今の私には正直つらい。ここ数年、私生活でいろいろ大変な体験をしたこともあり、できるだけ時間に拘束されたくないのだ。
決められた時間に決められた劇場に行き、指定された座席に座り、あらかじめ予定されている音楽や映画を鑑賞する。それだけでも一種の拘束感を覚えてしまう。
しかし、自宅で楽しむ音楽や映画なら、そのときの自分の心が真に求める作品を、自由自在に選んで楽しむことができる。
まさに「おうちで音楽、おうちで映画」である。
そして今、「おうちで音楽、おうちで映画」のクオリティは飛躍的に向上した。現代の音響及び映像テクノロジー万歳! と私は叫びたくなってしまう。
では最後に、現代の音楽愛好家及び映画愛好家にとって、真に必要であると私が信じるものを挙げたい。
それは優れたオーディオ機器、そして優れたディスプレイとApple TV 4Kである。
特にオーディオ機器で私がお薦めしたいのは、スコットランドに拠点を置くLINNの製品である。
その製品ラインナップは、比較的リーズナブルな価格の製品から、中流階級の労働者には手が届かない非常に高価な製品まで幅広い。
もしも、あなたが一般的な音楽愛好家なら、まずはMAJIK DSMを手に入れてほしい。次にするべきは、自分の予算に合った(できれば30万円程度の)スピーカーの中から好みの製品を選び出すことだ。
あとは、デジタル音楽データを格納するためのNAS、それとWi-Fi環境を準備すればよい。
そのオーディオ・システムから音が鳴った瞬間、あなたは驚きを抑えきれないだろう。家にいながらにして、これだけの優れたサウンドで音楽が聴ける時代がやってきたのかと。
もちろん、何を最善と捉えるかは人それぞれである。
「生演奏こそ最高。再生音楽はセカンド・ベスト」と、誰かが信じ続けるのも自由である。
それに、優れたオーディオ機器を製造しているのは、もちろんLINNだけではない。他にも数多くの素晴らしいメーカーが世界中に存在する。
しかし、一般的な収入を持つ音楽愛好家が購入可能なオーディオ機器で、最高の音楽体験をしたいなら、このLINNの製品こそ選択肢の最上位に置くべきであることを覚えておいてほしい。
念のため断っておくが、私は決してLINNの回し者ではない。長年にわたり、彼らが作りあげる製品を使ってきた私の、これは個人的ではあるが強い確信に満ちた想いなのだ。
あまりにLINNが素晴らしい製品を作り続けているので、つい世間に向かって宣伝したくなってしまうだけだ。
優れたサウンド、革新的なコンセプト、簡潔で洗練されたデザイン、最高の使い勝手。私はLINNのことを「オーディオ界のApple」と呼びうる存在だと考えている。
東京近郊にお住まいの方は、銀座にある「サウンドクリエイト」または「サウンドクリエイト レガート」というショップを訪ねてほしい。
初めは何事もそうだが、「ものは試し」である。LINNとの出会いは、あなたの自宅での音楽体験を、根底から変える第一歩になることだろう。
* この記事を掲載した後、私の生活スタイルが変化したため、上記のシステムとは別の、より簡素な製品を使い始めました。いつか新しいシステムのことも書けたらと思います。なんにせよ、大切なのは音楽を楽しみ、味わうことです。