サブスク全盛の時代に考える ~人々は芸術にお金を使いたくないのか~

ここ数年、「サブスク」という言葉を、よく耳にするようになりました。サブスクリプションを短縮した言い方です。言葉を短縮するのが大好きな一部の日本人が、またもや得意技を発揮してくれたわけです。

“subscription”をAI翻訳で訳したところ、その英語の説明には「あるものを受け取ったり、あるものに参加したりするため、前払いすることに同意する」と書いてあります。

“script”には「脚本」という意味があります。そこに接頭辞の”sub”を加えて”subscript”にすると、「添字」という意味になるらしい。”sub”は「~の下に」という意味をもっているので、「行の下に書かれたり印刷される文字またはシンボル」と説明されています。

さらに”subscription”になると、「申込」「加入」などという意味が発生する。これこそ、今、この記事で話題にしているサブスクですね(ちゃっかり短縮形を私も使わせてもらいます)。

「文書の末尾に署名する」という意味もあるようです。何らかの団体やサービスに加入するため、契約書の末尾に署名する、またはハンコを押す。これがサブスクリプションという単語の根源的意味なのかもしれません。

この記事では、サブスクリプションという言葉を、「定額制音楽配信サービス」または「定額制動画配信サービス」の意味で用います。月または年という一定の期間において、一定の費用を前払いするサービスのことです。

さて、今日、サブスクリプションは、さまざまな企業が提供するサービスで採用されています。音楽ひとつ聴くにしても、Apple Music、Spotify、Amazon Musicなどを使えば、月払いまたは年払いで、とてつもない量の音楽を楽しむことができる。

費用だって、かつてのようにレコードやCD、ダウンロードでアルバムを買うことに比べたら、ほとんどタダみたいなものです。月あたり8ドル程度の出費で、一生かかっても聴ききれない音楽を、好きな時に、好きな場所で聴くことができる。

いまや映画やドラマも同様です。Netflix、Apple TV+、Huluなど、多くの定額制配信サービスが提供されています。

ただし映画の場合、音楽とは製作費が桁違いに高額なので、公開してから数ヶ月くらいの間は、25ドル程度で購入のみを許可し、数ヶ月が経過すると、4ドルから7ドル程度のレンタル料金を徴収しているようです。

しかし、これもさらに時間が経てば、追加料金なしでいつでも観ていいよ、とされている作品も多い。

そして音楽の場合は、上に書いたとおり、製作費が映画に比べると低いことがあるせいか、リリースされたばかりのアルバムが、初めから定額制サービスで配信されることも多い。

まあ、便利といったら、これほど便利な時代は、かつてなかった。家にいながらにして、高音質かつ高画質で、膨大な数の音楽や映画が楽しめます。借りてきたCDやDVDを、レンタル店まで返却しに行く必要もない。

それに加えて、音響・映像機器の価格と性能比も、どんどん向上している。観客、聴衆の立場からすると、お金も時間も大いに節約ができてしまいます。

しかし、私はいつもの習慣で、いったん立ち止まって考えてしまうのです。ちょっと待てよと。果たして、サブスクがもたらしたのは、よいことだけなのか?

もう何年も前から、人々が音楽を聴くことに対して、以前ほどお金を使わなくなったと言われています。実を言うと私自身も、そうなのです。子どもの頃から音楽大好き人間だったにも関わらずです。

つい数年前まで、CDやダウンロードで音楽を買って聴くことには、ロッシーな(音質を犠牲にした)圧縮音源が多数を占める定額制サービスよりも、「音質が優れている」という利点がありました。

しかし今や、遂にApple Musicが提供する音源も、ほとんどがロスレスまたはハイレゾになっています。私はアップルが好きなので、率直に言って、この日を待ち望んでいました。

Apple Musicは、タグ情報をユーザが自由に変更できることが利点の一つです。アーティスト、アルバム、ジャンルなどの情報を、自分の希望する言語と方法で表示させることができます。その結果、ライブラリをきちんと管理しやすい。

そして何よりも、音質が優れている。ロッシーだった時の音質(AAC)と、現在のApple Musicの音質(Lossless/Hi-Res)は、本当に次元が異なります。

これは凄い時代が来たぞと感激している自分がいる一方で、私はこんなことを想像するのです。

音楽家はみんな、たいへんな努力を積み重ねてプロになっているわけです。しかし、コンサートの合間を縫い、手間暇かけて録音したアルバムを、いきなりタダ同然で聴かれてしまうようになった。

もう2年も続くパンデミックのために、世界中の音楽家たちは、聴衆を前にして生演奏を披露する機会をもちにくくなっています。演奏会は開けない、さらに録音から得られる収入も激減ときたら、「もう音楽やってられないよ」となりはしまいか。

ただし、私が子供の頃から、ラジオやテレビという、無料で音楽を聴く手段は存在したわけです。さらにラジオ番組をカセットテープに録音すれば、カセットテープを買う費用だけで、好きな曲を繰り返し聴くことができた。

あるいはレンタル店でLPレコードを借りてくれば、アルバム丸ごと、カセットテープにコピーして聴くことができたわけです。

それでも私の世代、私より少し年上の世代、そして、もう少し若い世代(1980年代生まれまで?)は、自分の好きなレコードやCDなどを、決して多くはない小遣いをはたいて買っていました。

その理由は、必ずしも「ラジオから録音したカセットテープより音がいい」とか「手にとってジャケットを眺められる」とか、それだけではなかった気がします。

評論家の中には、現代では娯楽が多様化したため、人々は音楽にばかりお金を使わなくなった、という説を唱える人もいます。あるいは、今の若者はお金に余裕がないから、無料または定額制のサービスで聴いているのだという説も耳にします。しかし、どの説も何かが違っている気がしてならないのです。

かつての私は、音楽家を応援しようと思って、音楽にお金を払っていたのではありません。

いい大人になった今だからこそ、「優れた音楽を提供してくれる音楽家には、正当な対価を支払うのが公正だ」とか、もっともな正論が頭に浮かぶのです。

もう少し若かった頃、なぜ自分が音楽やオーディオ機器に、それなりの金額を払っていたのか、また、お金を払ってでも聴きたいと思っていたのか。正直に言うと、はっきりとは分かりません。ただ、そうしたかった。それだけです。

ひとつ気になるのは、定額制配信サービスにおいて、既に著作権が切れている作品と、まだ著作権が生きている作品とで、制作者に対して支払われる報酬の単価は適正に管理されているのか、ということです。

また、定額制配信サービスで音楽や映画を検索した結果を示す画面を眺めていると、「こんな作品があったのか」とか、「こんな音楽家がいたのか」という、新たな発見をすることがあります。

こうした体験は、本屋やレコード屋に行って、知らない本やレコードに出会うことと、少し似ているところがあります。このことは制作者にとっても、多くの人に作品の存在を知らしめることができるため、メリットとなるかもしれません。

書いているうちに、あれもこれもと、まとまりきらない考えが溢れてきます。今回は、ここで話をいったん区切ります。

今後も、この定額制配信という形で音楽や映像を提供することの意義や問題について、私なりに考えていきたいです。

P.S. それにしても、アカデミー賞にノミネートされた映画が、アカデミー賞の発表前に自宅のテレビで観られてしまうことには、なんとも不思議な気持ちにさせられます。そう思う私の感覚が古いのか…笑

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