3月13日を前に考える~マスク着用が個人の判断に任される日とは~

来たる3月13日から、マスク着用の有無が個人の判断に任されます。必要に応じてマスクを着用すべき場面はあるものの、ようやくここまで来たかという感慨を覚えてしまいます。

感染が一時的に拡がる可能性もありますから油断はできません。とはいえ、さまざまな制限が少しずつ解除されていくのは、やっぱり率直に言って楽しみですね。

それから、同調圧力の強い日本のこと、マスクを着けていない人に向かって着用を強制する人たちが再び現れるのではという心配もあります。

しかし、マスクをしていない人に対してマスクを着けろと凄むような人たちは、3年前に新型コロナ感染症が流行り始めた頃よりも少ないのではと予想しています。

その理由は、国や自治体が、マスク着用に関する個人の判断を尊重することが大事だというメッセージを繰り返し発しているからです。国が外していいと公認しているのだから、適切な場所では堂々と外せると思います。

元々、日本のマスク着用等の感染症対策は、すべて国などから「お願い」ベースで行われてきました。法的には何ら強制力がないのに、ほとんどの日本人が「お願い」に従ってきたわけです。

その従順な性質(?)からすると、マスク着用は個人の判断に任せると国や自治体が言っているのですから、パッと外し始める人も案外多いのではないでしょうか。

まあ考えてみれば既に現時点でも、屋外で距離が保てる場合など、いくつかの場面では外していいとされていたのですよね。ところが、そうした場面でもマスクを着けている人たちが多かった。

ところがここ数日、特に屋外ではマスクを外している人を見かけることが明らかに増えています。比較的若い人が多いですが、中年くらいの人も結構外しています。

「来週からマスク着用は個人の判断ってことになったし、ここまで来たらもういいよね」と考えて、やっと外し始めた人が多いということなんでしょう。みんな口には出さなくても、ずっとマスクを着け、あれこれ制限だらけの生活に我慢してきたんだなと思います。

この3年間は一体なんだったのかと、あらためて突きつけられた気がします。遂にこの日が来たと言って心から喜ぶべき事態なのに、一方では悲しみに近い感情も湧いてくるのです。

ちょっとしんみりしてしまいました。

さてさて、それでは「個人の主体的な判断を尊重する」ということを、日本人は本当にうまくできるのか。

この感染症とともに暮らすことを強いられて3年が経過した今、お互いの自由と権利に対する日本人の考えがどれほど深まったのか、それとも大して深まっていないのか。

自分自身の自由と権利、そして他者の自由と権利、この二つのバランスを常に考えて行動することは、民主主義社会に生きる人間の基本だと思います。

ところが日本人は、この非常に難しいバランスを考える訓練をしないまま大人になった人が多い。「和をもって尊しとなす」が美徳とされる文化もあります。周りの様子を伺いながら、少しずつ外す機会を増やしていく人もいるでしょう。

それから、マスクの着脱を強制されないで済むということは「多様性・ダイバーシティを尊重する」という観点からも語れることです。

社会の多様性も、それを実現していくプロセスとは「お互いの自由と権利を認め合う」という地点に行き着くんですよね。本当に大事なことって、すべて同じ根っこから生えている幹であり、枝であり、葉っぱなのかもしれません。

自分とは異なる選択をした他者に対する寛容さ、その異なる選択を理解する力を、我々がどうやって獲得できるのか。

そのための、かつてないほどハイレベルな実地訓練が始まる。2023年3月13日とは、そういう日なのかもしれません。

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