「夫婦で家事育児を分担」と世間は言うけれど

私のブログ更新を楽しみにしてくれていた数少ない貴重な方々(本当に存在するのか?)、大変お待たせしました。

いやもう、とにかく臨時の書き物やら用事やらが多過ぎて、ブログの更新を泣く泣く後回しにせざるをえなくて…(また言い訳)。

さて、今回の記事では、やたらと世間で言われている、「夫婦で家事育児を分担する」という問題について考えてみます。

テレビでもネットでも、この話題には事欠かず、しょっちゅう目にしたり耳に入ってきますよね。

なお、私は、夫婦で家事育児をしていた時期と、ひとりで家事育児をしている時期と、ふたつの状況を経験しているため、夫婦二人で家事育児の真っ最中という人達とは異なる、一歩引いた地点から考えることができます。

実を言うと、この立場の人間だからこそ感じる、世間の論調に対する何ともいえないモヤモヤした違和感もあります。それを書きたい気持ちもありますが、それはまた別の機会に。

さて、ネットでの議論を眺めていると、人によっては「分担ではなく共同だ」とか、「参加とかじゃなくて、夫婦で協力してやるのが当たり前だ」とか、あれこれ言ってますが、私からすると、そうした表面的な言葉にこだわってる場合ではありません。

さっさと考え、そして行動に移しましょう。みなさんも当然分かっているでしょうが、家事も育児も、唯一の正しい方法など存在しません。日々の試行錯誤の積み重ね、それ以上のものはありません。私の心からの実感です。

この「夫婦で家事育児を分担する」という考えの根本にあるのは、もう何十年も前から言われ続けてきた、性別で役割を分担するのはやめようよ、ということですよね。

かつては「性別役割分担」という硬い響きをもつ言葉がよく使われていましたが、昨今、耳にする頻度は低くなった気がします。

おそらく、この問題に関する社会の認知度が高まったため、「性別役割分担」という 、学術用語のような言葉を使う必要性が低下した、ということなのだと想像します。

今は、とっくに次の段階に完全に入っている。最終的な目標は「個人の生き方が、社会によって定められた性別(ジェンダー)によって影響されにくい世の中にしよう」ということでしょう。

その最終目標については、法令等の制度面でも、また一般の国民レベルでも(少なくとも表面的には)理解を示すようになってきた。これからも目標に向かって一歩一歩進んでいく、というところでしょう。

とは言っても、その目標を、会社のような組織ではない「家庭」という小さな世界で実現させるのが、本当に大変なことなのです。だからこそいまだに、ああでもない、こうでもない、と議論(またの名を夫婦喧嘩)が絶えないのだと思います。

なお、ここに関わってくるジェンダー云々については、私がちょっとネットで調べただけでも、相当な深い議論に踏み込まないといけないことが、一瞬にして理解できます。そこで今回は、ジェンダーという言葉は極力使わないようにします。ついつい総論のほうに引っ張られかねないからです。

あくまでも「夫婦による家事育児の分担」という各論に絞って書くつもりです。しかし、そこにフォーカスしただけでも、世間では侃侃諤諤の議論(ほとんど「闘い」)がありますから、私なりに真剣に考えてみますよ。

(この前置きが長い癖、おそらく一生直らないでしょう。ご勘弁ください 汗 )

では本題。

私は、ブログのように特段これといったフォーマットの決まっていない文章で、箇条書きとか、「1」「(1)」のように段落をつくって書くのは、あまり好みません。しかし、今回のような話題では問題点を整理しやすいので、ここでは使ってみます。

1 世間の一般的な論調

ニュースなどを見ている限り、平均的な意見は次のようなものでしょう。

なお、男性の専業主夫がいる家庭も稀にあるでしょうが、現在、この記事に書いた問題で揉めているのは、圧倒的に専業主婦(妻または女性が家事に専念)の場合だと思われます。話をわかりやすくするため、ここでは基本的に「家事に専念するのは妻または女性」という前提で書きます。

妻の意見

(1)「夫が家事育児を、ほとんど手伝わない。頼んでもダメ。どうやったら手伝ってもらえるの?」

(2)「共働きなのに、家事も育児も、妻である私の負担が大き過ぎる」

(3)「専業主婦だからって、家事育児はすべて妻がやらないといけないの?」

夫の意見

(1)「共働きと言っても、夫の自分が主に家計を支えているのだから、家事育児を妻が多めに分担するのは当然だ」

(2)「専業主婦とは、家事をやるのが『仕事』。(金を稼がない分)妻が家事をすべてやるのは当然。ただし、子どもは夫婦で授かったものなので、できる範囲で育児は協力したい」

(3) 「私は父親として、育児休暇を取得し、育児にも家事にも積極的に関わった。夫婦で協力して家事育児をするのは、男女平等の現代なら当然だ(ちょっとドヤ顔)」

まあ、大雑把ですが、みんなが言ってることをまとめると、大体こんな印象を受けます。

私はこの記事を書くにあたり、いくつかのウェブサイトを、あらためて確認してみました。その結果、メディアの記事自体はともかく、そこに寄せられた一般人のコメントは、ほとんど読むに値しない自分勝手なものもありました。

正直、まだこんな時代遅れのことを考えてる夫がいるのかと、呆れてしまいました。みんな大変だねえ、と他人事ながら同情してしまったほどです。

2 共働きと専業主婦の違い(ここ大事)

ひと言で「夫婦で家事育児を分担」と言っても、妻が「専業主婦」なのか、それとも「働いている」のか、この違いはきわめて重要です。

この違いによって、夫婦それぞれの労働時間の長さや負担の重さ、言い換えれば、それぞれが自由になる時間の長短(これよ、これ!)が、まったく変わってくるからです。

さらに、働いているといっても、労働形態がパートタイムなのかフルタイムなのかも大きな違いで、これらを同じように扱うのは、明らかに公平性を欠きます。

なんだかんだ言って、働いて金を稼いできてくれるというのは、本当にありがたいこと。だって、お金がなければ、人は生きていきませんからね。

さらに言えば、家事も育児も、お金を払えば外注できてしまいます。今の時代は、洗濯、掃除、調理・買い物などの家事サービスを提供する企業も増えている。

いつだったか、欧州で生活した経験のある人がネットで書いていた話ですが、欧州では、ある程度の収入がある家庭は、ベビーシッターのみならず家事提供サービスも利用して、面倒な家事は他人の手を借りる人も結構いるらしい。

一方で、日本人は相当なお金持ちでも、家事や育児に関する限り、お金を払って他人にやってもらうことに、積極的になれないように見えます。

昔は日本でも、裕福な家庭だと乳母を雇って日々の細かい育児は任せ、実の母親の手間を省くということを、普通にやっていたはずです。

日本人が一体いつ頃から、育児を金で解決するのはよくないと考え始めたのかは知りません。こんなことを言うとなんですが、保育園だって、金を払って他人に育ててもらっているのですけどね(実際、私の知人で「保育園が(子どもを)育ててくれるから楽だ」と言っていた人がいます)。

ただ、そんな日本人でも、自宅の庭の植木の手入れとか、そういうことだと何の疑問も抱かず、外注する人も多い。庭を人任せにするのは構わないが、家屋の中に入られるのは嫌ということなのか。なんだか、よく分かりませんが。

まあ、そのあたりは日本と欧州とでは文化が違うこともあり、一概には言えません。あるいは「日々のこまごまとした家事を外部に委託する金があったら、こんなに苦労しないわ」という家庭も多いでしょう(我が家もそうです)。

ベビーシッターも、ほとんどの人は善良なのでしょうが、現実に目を向ければ、稀とはいえ事件が起きているのも事実です。よく素性を知らない人に我が子を預け、家を留守にすることに抵抗を感じる人もいるでしょう。

すみません、話がそれました。

とにかく、ざっくり分類すると、夫婦の家事育児の分担を考えるうえでは、主に3つの形を想定する必要がある。

・共働き(うち一人はパートタイム)

・共働き(二人ともフルタイム)

・専業主婦(もう一人はフルタイムワーク)

さらに、ここに介護など、家事育児とは異なる種類の、非常に労力を要する義務的作業が加わっている人もいる。そして、その大部分を妻が担っているとしたらそれは負担感が倍増、いや三倍か四倍増するであろうことは、誰でも容易に想像できます。

当たり前のことですが、家庭の形は本当にさまざまです。ここまで私が書いたことを、総合的に考えたうえで論じられている記事は、少なくともネットやテレビ、新聞など、放送時間や字数が制限された媒体上において、現時点で、私は一つも見たことがありません(どこかにあったら教えてください)。

もちろん、学者の論文とか、パネリストを招いて開催される会議のようなものなら、次元の異なる話をしてはいるのでしょうけどね。別に私は研究者ではないので、そこまで突っ込んでリサーチする時間もないし、そこまでする必要もないのです。

なぜなら、私は生活費を稼ぎ、ありとあらゆる家事育児を、すべて一人で毎日やっているからです。

助けてくれる親戚も近くにいないし、家事育児で人の手を借りたことが、本当に、ほとんどありません。子どもは一人だけ、かつ私ひとりで育て始めたのは小学校に上がってからとはいえ、それでも十分過ぎるくらい大変です。

とにかく何があっても、私は絶対に諦めず、がんばって切り抜けていく。さほど金は持っていないが、生きるために必要な知恵と根性を持っている。ここが私の強みですね(自分で言ってる )。

3 結論

では、現時点での私の結論を述べます。結構、簡単というか、あっけないほど分かりやすい話です。

夫婦で家事育児を分担するときの公平な目安とは、

有償の労働であれ、無償の労働であれ、1週間程度の期間で比較したときの平均労働時間が、夫婦で同じになるように調整をする

ということです。

要するに、金が入ってくる仕事だろうが、金は入ってこないが頭も身体も使う仕事(まさしく家事育児が典型)だろうが、1週間くらいの期間で平均したとき、夫婦それぞれが家庭のために使っている時間を、ほぼ同じに近づける。そのための協力を夫婦間で惜しまない、ということです。

この法則に従えば、共働きだろうが専業主婦だろうが、なんら関係ありません。私も正直に言うと、子どもの相手をしているより、外で仕事をしている時のほうが、ある意味では気楽だと感じる瞬間も、過去にはありました。

今でこそ、仕事、家事、育児を一人でこなすことに慣れましたが、初めのうちは、それこそ死ぬ気でやっていました。あの日々のことを考えたら、夫婦で協力できる人たちは、ある意味では恵まれているのです。

「夫婦でよく話し合えば問題は解決する」とか、理想論を唱える人たちも大勢いますが、話し合い自体が成立しない夫婦だからこそ、現に揉めているわけですよね。

考え方が古い、または相手の身になって考えることができないパートナーと話し合いなどしても、そう簡単に現状を変えることはできません。その点で、私が唱えるルールは、少なくとも合理性という観点からは最善だと思っています。

4 おまけ(ここも大事)

みんな、あれこれややこしいことを言って、いがみあったり、怒ったり、不満をぶちまけたりしています。

しかし私は思うのです。何度も何度も話し合って、それでも理解し合えない人間とは、違う道を歩むのも選択肢の一つだと。

人生の時間は有限です。自分の道は自分で切り拓く。その覚悟を、常に頭の片隅に置いて生きてください。

いつだったか、あるギタリストが音楽雑誌のインタビューで、ギターを習う生徒と教師との相性について語っていました。その箇所が、いまだに強く印象に残っています。私の記憶の範囲で、その主旨を書かせてもらいます(細かい言葉遣いは原文とは異なります)。

「この先生とは合わないなと思ったら、さっさと次の先生を探してください。日本人はとかく『いつか分かり合える』などと言って我慢しがちですが、そんな無駄なことに時間を使わないでください」

私のような凡人と違って、このギタリストは真の一流の人です。説得力が違います。やっぱり、人間には無駄な妥協なんかしている暇はない、ということですね。

また、私はここも強調したいのですが、違う道を模索することは、うまく妥協しつつ同じ道を歩むことと、決して矛盾しません。それは新たな可能性を探るという、人生に必須の作業のひとつに過ぎないのです。

親、親戚、さほど親しくもない友人。そういう人達は、自分の価値観や経験則にもとづいて、あなたに「助言という名のおせっかい」を出してきます。それらは、しばしば偏ったものになりがちです。

それよりも、医師、カウンセラー、弁護士など、他人の相談に乗ることを職業としているプロフェショナルを頼りにしたほうが、より客観的で確かな助言が得られます。

そして最後に頼りになるのは「自分」です。あとは数は少なくとも「よい友人」。このことを忘れずに。